神学漂流 魂のドイツ修行

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哲学者にはなれない

「勉強を止めたら自分が無くなってしまう」と思いながら私は生き続けてきた。自分が消えてしまわないためには、より良い成績を上げ、より良い学校へ進学し、最後には学者にならなければならない。絶壁をよじ登り続け、いざ頂点に登りつめたらば、下界を冷ややかに見下そう。その時こそ自分の人生を抑圧してきた社会に対して、完全に復讐を果たすことができるに違いない。そんな風に私は思っていた。

こうして私は東大文学部に入学し、哲学を勉強し始めた。文学部のなかには、西洋哲学だけを研究する哲学科のほかに、西洋哲学と東洋思想を両方研究している倫理学科もあった。私は考えた末、倫理学科を選んだ。その理由は単純に研究できる分野が広そうだと思ったからである。その倫理学科で、まさか戦後最大の哲学者ともいうべき廣松渉先生に出会うことになるとは予想さえしていなかった。

東大をはじめとする日本の旧帝国大学には、哲学や倫理学や法学や医学といった長い伝統を持つ学問が欧米から導入された。だがその際に唯一導入されなかったのが神学である。キリスト教会に仕える神学は、大日本帝国からは学問として公認されなかった。旧帝大ではキリスト教を知的な研究対象とすることはあっても、キリスト教会の伝統や霊性を主体的・実践的に学び培うことはしない。そのためキリスト教と真摯に対峙したこともない研究者が、欧米で流行するキリスト教批判だけを軽々しく受け売りする傾向がよく見られた。

特に私が大学生となった80年代後半、歴史の意味や大きなヴィジョンを冷笑し相対化する思想が幅を利かせていた。そこではキリスト教はかっこうの攻撃対象となった。キリスト教と言えば、欧米人による世界侵略のためのイデオロギーと見なされて拒否されるか、あるいは全く逆に、この世界の不条理に耐えられない弱者が逃げ込む精神的避難所として馬鹿にされるか、そのどちらかであった。

そんな80年代から90年代にかけて、私の目から見て圧倒的な存在感を放っていた二人の哲学者がいた。それは廣松渉氏(故人)と柄谷行人氏である。

まず廣松渉氏は、世界の存在構造を極限まで解明し尽そうとする、これ以上はないほど精緻で独創的な哲学者だった。私は廣松氏の格調あふれる文体と思考に圧倒され、魅了され、出る本出る本をすべて読みふけった。しかも廣松氏が倫理学科で週一回だけ大学院のゼミを担当していたので、そこに出席するという幸運を得たのである。

だが私は、当時を代表する碩学に生身で接して「自分はとてもこういう哲学者にはなれない」と感じた。廣松先生には広大な知性と強靭な精神がある。それがどこから湧き出してくるのか、20代前半の私にはどれだけ考えてもわからなかった。自分は今まで死に物狂いで勉強を続けてきたが、廣松先生のような高みに登る能力は自分にはない。そんな風に打ちのめされてしまったのである。実は私が出席した廣松ゼミは廣松先生が亡くなる直前の、文字通り最後のゼミとなった。だが私が教室でお会いした限りでは、廣松先生の気迫と知性は最後まで燃え盛っていた。

 

 

次に、もう一人の偉大な哲学者であった柄谷行人氏は当時「評論家」と名乗っていた。だが哲学を含むあらゆる思想を縦横無尽に論じ、どんな類型にもおさまらない独創的な言論人として、圧倒的な凄みを放っていた。そのせいか柄谷氏は形式を重んじるアカデミズムの世界ではタブー視されていた。例えば私はある先輩から「福嶋、卒論や修論なんかで柄谷という名前に触れてはだめだ。教授たちから嫉妬されるから」と耳打ちされたこともあった。だが当時の知的好奇心にあふれる大学生たちは、柄谷氏こそ群を抜いて先鋭的な思想家であると感じており、みなこぞってその著作を読みふけっていた。

廣松氏は世界を解釈し説明し尽そうとする哲学者であり、柄谷氏はあらゆる解釈や説明を相対化する評論家だった。この知の巨人たちに圧倒され、私はもう自分自身がどこに立っているのか、何を目指してよいのか、足場も方向もまったくわからなくなってしまった。
そんな五里霧中の状態だった20代前半の私は、ある時、柄谷氏の本の中のあるフレーズに釘付けになった。

資本は世界を文明化するためにではなく、自らが存続するために技術革新を運命づけられているのである。ほとんど無益とも思われるような技術の革新も、資本が存続するためにこそ不可欠なのである。それは人間の“自然な”必要からではなく、「価値」による転倒から生じる。」(『マルクス その可能性の中心』講談社、1978年、66頁)

 

 

この言葉は私の深奥にまで響いた。何年も響き続けた。これこそ現代社会の真相を暴ききった言葉ではないか。世間の人々は、文明社会がまるで人間の生来の向上心や欲望によって進歩していくかのように言う。けれどもそれは錯覚ではないだろうか。資本主義文明とはそんな人間的なもの、自然なものではなく、制御の効かない暴走列車のようなものではないのか。人間は新製品や新技術を次々と生み出すことで、あたかも自らが進歩しているかのように倒錯しているが、実際は無目的で虚無的なメカニズムによって強いられているだけではないのか。私はそのように感じた。

20世紀末にはソ連と東欧の社会主義が崩壊し「資本主義の勝利だ、マルクスなど時代遅れだ」という空気に満ちていた。だが廣松氏と柄谷氏はそんな空気に少しも流されることなく、独立独歩でマルクスを研究し、世界をますます支配する資本主義のメカニズムを暴き、ひいてはそれを克服しようとしていたのである。

ちなみに父が私につけた「揚」という名前は、資本主義の止揚(ドイツ語でアウフヘーベン)、つまり資本主義を克服することを意味している。そこに左翼系の弁護士である父から受け継いだ「血」のようなもの、魂の在り方への示唆があることを今の私はわかる。

しかし、大学生であった私は卒論と修論を何とか書き終えて、いよいよ学者の卵ともいうべき博士課程が始まった時にはすでに生ける屍のようになっていた。「自分は哲学者には向いていない。哲学者になれない自分は死んだも同然だ」と思い込んでしまったのである。いま考えれば、この「死」こそ私をキリスト教に導いてくれた不可避の通過点となった。

 


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(つづく)