神学漂流 魂のドイツ修行

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終わりのなかの新しい始まり

博士課程に進学した私は抜け殻のようになっていた。学者になるために書き上げねばならない博士論文はテーマさえ決まらず、ましてや自分が一生心血を注ぎたいと思うことはどこにも見つからなかった。どんな概念も理論も空しく感じられ、この先自分にいったい何が残されているのだろうかと考えていた。

「もう死にたい」とも思ったが、まだ生きたいという執着が優った。しかし、死なずに生きる理由が何なのかは全くわからなかった。自分の葛藤を誰にもうまく伝えることができない。不安が止まらなくなり、眠れなくなった。精神科に行くと軽い自律神経失調症だと診断された。軽いとは言われたが、それは地獄のような苦しみと孤独感だった。

ある眠れない夜、この地球上で自分を理解してくれる人が一人もいなくなってしまい、宇宙を見上げながらぽつんと佇んでいる感覚に襲われた。その時突然、もしもこの宇宙のどこかに、自分を完全に理解してくれる「誰か」がいるとしたらどうだろうという考えが浮かんだ。その「誰か」にむかって私は自分の苦悩を打ち明けるように話しかけてみた。それ以来、夜な夜なこの「知られざる誰か」に向かって語りかけることを止められなくなった。そうでもしなければ耐えられないほど私の孤独は深かった。

この苦しまぎれの「祈り」とも言えるものは思わぬ形で展開していくことになる。その頃大学院でたまたま谷隆一郎先生のアウグスチヌスについての講義を受けた。もっとも講義にはほとんど出席せず、ただ単位をとるためだけに、授業内容とは何も関係がないレポートをでっち上げて提出した。それは自分が今とりつかれている「未知なる誰かへの祈り」を、アポロ宇宙飛行士が月面で「神」に出会ったように感じたという体験と重ね合わせて論じた、いい加減な内容のレポートだった。

ところが谷先生は丁寧な励ましのハガキを送ってくださった。そのハガキには、祈ることは一つの求道のようなものであり、あなたはその始まりに立っていて、方向性は間違っていないという寛大なコメントが書かれていた。私はそれによってずいぶん慰められた。

同じ頃、不安と孤独を鎮めてくれそうな本を私は無我夢中で探した。やがてそれは今まで読んできた哲学書の周辺から次第に見つかり始めた。中でもいちばん助けられたのは19世紀スイスの法学者・作家であり敬虔なキリスト教徒であったカール・ヒルティ(1833~1909)である。ヒルティの一連の著作、とりわけ『眠られぬ夜のために』と『幸福論』をぼろぼろになるまで読みふけった。生きているどんな人間にもまして、ヒルティが人生相談の相手となってくれた。ヒルティの本には聖書やキリスト教の文献からの引用が多く含まれている。それらに興味が惹かれるままに、聖書をはじめとするキリスト教の文献を読むようになっていった。

 

 

そうこうするうちに、以前はまったく接点がなかったキリスト教徒とも知り合い話すようになった。その中に熱心で素朴な信仰者のA君がいた。A君は「学問なんて人生の何の役に立つのですか? 聖書を読むこと、神様を信ずることこそ大事なのです!」と力説した。

勉強一筋に生きてきた私は、実はこの手の人物が最も嫌いで苦手だった。それは自分が見たくない恐れ、つまり「勉強を止めたら自分が無くなってしまう」という恐怖を炙り出されるからである。

さらにA君は持参している聖書をおもむろに開いて「この箇所を読んでごらんなさい。あなたにとって必要な言葉が書かれているから」と迫ってくる。彼が差し出す聖書を私が邪険に突き返すと、A君は「あなたは聖書と神を冒瀆した!」と言って無念そうな顔をする。

しかし彼はなお諦めずに教会の若い仲間を何人もひき連れて、私をキリスト教に入信させようと執拗に迫ってきた。こんな強引な連中を相手にしていられるかと思って、私はA君たちに「二度と来るな」とはっきり告げた。するとA君は別れ際の最後に「十字架にかけられたイエス様は、私たちが顔も上げられないような御方なのです!」といかにもキリスト教臭い言葉を残して立ち去った。私はほっとした。

ところがどういうわけだろう。その最後の言葉が私の心に小さな棘のように残った。その棘は少しずつ痛みを増し、大きくなり、とうとう無視できなくなってしまった。

一体何が起きたのかわからなかった。だが今振り返ってみれば、A君の言葉は数年前にアウシュヴィッツで見たあのイエスの十字架の衝撃を私の中にありありと蘇らせたのである。頭で考え出したどんな理論や思想よりも奥深くて根源的な何かがここに隠されている。私はこの大きな何か、自分でもよくわからない何かに捉えられているのを否定できなくなった。

親戚に熱心なクリスチャンの叔母がいた。叔母は私がキリスト教に関心を持ち始めたことを知って、ここぞとばかりに訪ねて来て「イエス様」がいかに「慈しみ深いお方」であるかを熱烈に語った。叔母からは熱い信仰を感じたが、キリスト教的な言葉使いに今一つ共感できなかった。

ところが叔母がふと話してくれた体験に私は心を揺さぶられたのである。叔母は悲しみのどん底に落ちた時に「神は愛なり」という聖書の言葉がどこからともなく響いてくるのを聞いたのだと言う。叔母は暗闇にイエスの言葉が光のように差し込んでくるような体験を語ってくれた。

その後、私は叔母に勧められて教会に通い始め、まもなく洗礼を受けた。博士課程半ばの1995年秋のことである。私は27歳になっていた。哲学者になることに挫折し、人生の脇道に外れるようにキリスト教徒となった自分を祝福してくれたのは、教会の中の人だけだった。私は東大が象徴する強者の出世街道から転落して、クリスチャンという日本社会のマイノリティの弱者になってしまったと感じた。

だがそれにもまさって、想像したこともない新しい道が目前に拓けてくるのを感じた。これまで私は恐怖と虚栄心に駆り立てられて、学歴社会の断崖絶壁をよじ登ってきた。今までは自分以外の者を打ち負かすべき競争相手、あるいは逆に自分を蹴落とそうする脅威としか感じることができなかった。

ところがイエスの十字架に向かい合った時、その一見惨めで無力に見える姿から、不思議な力が放たれているのを感じた。それは権力や名誉を求めて上昇する力とは真逆の、自分を明け渡してすべてを与えてしまう力である。その力によって、私自身のあらゆる恐怖、自己正当化が相対化されていき、挫折した自分が十字架上のイエスによって受け止められ、抱き起こされるように感じたのである。

その時おぼろげながら見えてきたのは次のようなことである。十字架は死を表しているが、それは同時に新しいいのちを表してもいる。何もかもが終わってしまったところから始まる新しい道がある。暗黒の闇のなかに差し込んでくる新しい光がある。これまで忌避してきたキリスト教とは、実は二千年にわたってこの言語に絶する何かを人類に伝えようとしてきた伝統なのではないか? そこには人生を賭けて探究するに値すべきテーマがあるのではないか? すべてを投げ打ってでも、追究するに値する真理がひそんでいるのではないのか? こうして哲学というジャンルのすぐ隣に「神学」という日本ではあまり知られていない奥深い学問があることに気づいたのである。

 

(つづく)