神学漂流 魂のドイツ修行

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ドイツ神学の巨匠を訪ねる(1) ユルゲン・モルトマン   

ドイツは宗教改革者ルターの国であり、プロテスタント教会の発祥の地である。私はそのドイツでこそ神学を学びたいと次第に考えるようになった。

しかしドイツ留学を支持してくれた人は少なかった。特に大学関係者の反応は複雑だった。「大いにやってみたらよい」という声と「日本で就職先が無くなっても知らないよ」という声が入り混じって耳に入ってきた。「なぜ今さらドイツに行く必要があるのか」とたしなめられたこともある。日本で哲学者になる道を内心ほとんど諦めていたとはいえ、ドイツに行って神学という新しい学問に深入りすれば、本当に後戻りができなくなる。そう思うと不安が津波のように襲ってきた。

一方教会関係者からは「いきなりドイツなんて無謀だ。まず日本の神学校で十分に学んでから行くべきだ」と引き留められた。そうした助言を振り切ってドイツに行けば、大学だけでなく教会とも関係を失ってしまうかもしれない。要するにドイツ行きは日本社会から完全に根を失うリスクを伴っていた。

そんな葛藤を抱えていた頃、牧師の加藤常昭先生とお話する機会があった。私は加藤先生がドイツの神学や教会について書かれているご著書を愛読していた。そこで恐る恐る留学について相談してみたところ、加藤先生は意外なことに「今ならドイツに行ったほうがいいかも……」とたった一言漏らされた。それを聞いた私は「誰に反対されようと、何が起きようとドイツに行こう」と秘かに決めてしまった。

そこからドイツ語圏の大学事情を懸命に調べ始めた。とはいっても私がやったことは、ドイツ大使館やオーストリア大使館に足を運んで、そこに置かれている各大学の便覧を閲覧しながら授業内容を知るということだった。インターネットはその頃まだ普及し始めたばかりだった。

大急ぎで調べた結果、南西ドイツにあるテュービンゲン大学神学部が留学先の第一候補として浮上してきた。ユルゲン・モルトマンとエバーハルト・ユンゲルという当時を代表する世界的な神学者がテュービンゲンにいるとわかったからである。今振り返ってみれば、他にも神学を学べる場所や先生は多く存在したが、それらを比較検討する余裕はなかった。「モルトマンとユンゲルこそイエスの十字架について最も深く究めている世界一の巨匠に違いない!」。そう思った私はテュービンゲンに行く以外に道はないと考えた。

そうこうするうちに奇跡的なタイミングが訪れた。博士課程の3年間が終わりに近づく1996年の秋、モルトマンが来日するというニュースを聞いたのである。私はこのワンチャンスを逃してはならないと思い、緊張しながら東京の信濃町教会で行われるモルトマンの講演を聴きに行った。

講演の内容は半分も理解できなかった。けれどもモルトマンが日本の学者からは見たことがないような明るいオーラを放っていたことに強烈な印象を受けた。モルトマンは知的な高みから冷静にシニカルに語る学者ではなく、この世界を本当に深いところから祝福し肯定する学者だった。「この世界はどれほど困難でも生きるに値する」ということをこれほど前向きに力強く語っている言葉を日本では聞いたことがなかった。私が求めていたのは──あのフランクルの『夜と霧』が教えてくれたような──人生への深くゆるぎない肯定(Yes)だった。モルトマンの講演を聴いた私は「この人が教えている大学なら絶対に素晴らしい場所だ」とその場で確信した。

 


ユルゲン・モルトマン氏

 

講演が終わった瞬間、私はモルトマンのところに一直線に走っていき「すみません、話がしたいのでお時間をください!」とカタコトのドイツ語で話しかけた。さらに前もって用意しておいた私の履歴書を無理やり手渡して「あなたとユンゲル先生が教えているテュービンゲン大学に行って、神学を学びたいのです」と訴えた。講演を終えたばかりのモルトマンは思い切り顔をしかめながら「あなたのことを存じ上げません。テュービンゲンに来たいならいらっしゃい」とだけ応えて、履歴書を受け取ってくれた。

そのやり取りをすぐ近くで見ていた通訳の方は「あなたのドイツ語はひどいね! そんなレベルではドイツに行って神学を勉強するどころではないよ! それにユンゲルの名前を出したのはまずい。モルトマンとユンゲルはテュービンゲンでライバル同士なのだから」と諄々と教え諭してくれた。確かに私のドイツ語はひどいものだった。おまけにモルトマンとユンゲルという二人の巨匠の違いさえよく知らないまま「この二人こそ十字架について学べる世界一の神学者だ」と信じ込んでいたのである。

ちなみにモルトマンの代表作は『希望の神学』(1964)である。当時の私にはこの著作は難解すぎて読み通すこともできなかった。それにもかかわらず来日したモルトマンの姿は、ドイツという別世界から射し込んでくるまさに「希望」の光のように感じられた。ここまでまっすぐに未来への「希望」を語る学者に日本では一度も出会ったことがなかった。むしろそのような希望を批判したり相対化したりする思想ばかりに出会ってきた。だがモルトマンはそのような閉塞状況を突破して、その先にある別世界を今まで見たことがないほど力強く指し示しているように私には感じられた。


1964年刊行の『希望の神学』

 

そのような予感だけに突き動かされて、私はドイツに渡った。それから四半世紀近く、私はモルトマンの神学から恩恵を受け続けてきたと言ってよい。神学の右も左もわからなかった私があの時に抱いた直感は、その後の人生を切り拓いてくれた。

だがそれはすべて、今になって過去をふり返って言えることである。ドイツ行きのために日本で準備していたことがすべて付け焼刃に過ぎないことは、現地に行って木っ端みじんに打ち砕かれるまで想像すらできなかった。そんなことも予期せず、私は日本でモルトマンを訪ねた直後、テュービンゲン大学のユンゲル教授を訪ねるためにルフトハンザに飛び乗ったのである。

(つづく)