神学漂流 魂のドイツ修行

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アウシュヴィッツでキリストに出会う

私は「神学者(theologian)」と名乗ることにしている。日本人で「神学者」などと名乗る人は稀である。そもそも「神学 (theology)」という学問は、日本であまり知られていない。けれどもキリスト教の長い伝統を持つ欧米では、哲学や医学や法学などとならぶ、最古の伝統的な学問の一つである。

私はその神学を学ぶために、1997年、27歳の春に日本を離れてドイツに留学した。当時私は日本の大学院で倫理学を専攻しているうちに完全に行き詰まってしまい、人生をやり直さなければいけないと感じていた。そのためにすべてをリセットして、ドイツで大学1年生から人生をやり直すことにしたのである。

一体どのようにしてキリスト教に出会ったのか。さらになぜ神学を学ぼうとしたのか。それどころか、なぜわざわざドイツに渡らねばならなかったのか。この連載では、そのような迷走と七転八倒の足跡を辿ることにしたい。

私の両親はキリスト教に関心がなかった。父は左翼系の弁護士だった。家ではたいへんな読書家で、壁は東西の哲学思想書でびっしり埋め尽くされていた。古本屋の店内のような家で育った私にとって、手あたり次第に本を読むことは子供のころから自然な習慣だった。

私がキリスト教に出会う伏線となったのは、高校2年生の頃たまたまヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(霜山徳爾訳、みすず書房)を読んだことにある。父の本棚に並んでいたのを何気なく読んでみたのである。

『夜と霧』は、ユダヤ人の精神科医であるフランクルによる、アウシュヴィッツ等のナチス強制収容所の体験記録である。収容された大半の人々がガス室で殺されていく、あるいは病気や飢餓で死んでいく収容所の中で、フランクルが最後まで生きることを諦めなかったのは、信仰の支えがそうとうに大きい。『夜と霧』には旧約聖書からの引用や影響もあちこちに見られる。

本の中にこんな場面がある。ある日収容所での強制労働のさなか、フランクルの目の前に妻のまぼろしが現われ、彼はそのまぼろしと語り合う。その時彼女は同じ収容所のなかのどこか別の場所ですでに殺されており、フランクルはそれを知るすべもなかった。けれども妻のまぼろしとの生き生きとした会話がフランクルを救う。外側には全く救いがない状況で、彼は死によっても失われることのない人生の究極の意味を体験する。その極限状況の場面に高校生の私は衝撃を受けた。

やがて戦争終結によって収容所から解放されたフランクルは「かくも悩んだ後には、神以外に恐れるべきものは何一つない」という境地にたどり着く。そのような『夜と霧』の肯定的な締めくくりに私は息をのんだ。ここまで深く肯定的な人生観や生き方があるのならば、自分もそれにふれてみたい。そんな風に思ったのである。

『夜と霧』の衝撃に突き動かされるように、1989年、私は大学1年生の春にポーランドのアウシュヴィッツに向かっていた。東欧の社会主義政権が次々と倒れる直前だったが、私にはそんな予感さえなく、ただ「アウシュヴィッツに行けばフランクルを追体験できるに違いない」という思いだけで飛んで行ったのである。

東京からモスクワを経由してワルシャワへ、さらにワルシャワからクラクフへと飛行機を乗り継ぎ、さらにクラクフからタクシーに乗った。春とはいえポーランドはとても寒く、おまけに排気ガスで頭痛をおこすほど空気が悪かった。雪まじりの白い霧がたちこめる中、まるで地の果てに向かっているかと思うほどタクシーは長く走り続けてから、やがてアウシュヴィッツ強制収容所跡にたどり着いた。

 

 

私がそこで見たものは、囚人棟の壁に刻まれたキリストの十字架像だった。真っ暗な牢獄の壁に囚人によって刻みつけた小さな十字架像が浮かび上がっていた。それは人生で初めてキリストを意識した瞬間だった。私はその頃、まだ聖書をまともに読んだこともない。ただ私はその時、ここに閉じこめられていた囚人が、やせ細って死んでいく自分の姿をそのままキリストとして壁に刻んだのではないかと思ったのである。

今振り返ってみると、このアウシュヴィッツ訪問は、やがて日本を離れて、ヨーロッパでキリスト教神学を学び始める、遠いきっかけとなった。もっとも「アウシュヴィッツのような残酷な出来事の後では、人間はもう神について語ることなどできない」と主張する人々もいる。20歳の私はそのような主張があることを知らなかった。「神は果たして存在するか、しないか?」と考えたことさえなかった。ただ、アウシュヴィッツでキリストに救いを求めて死んでいった人が実際に存在したことを知って、「キリストの十字架には、何かこの世界のただならぬ深い意味が隠されている」と感じ始めたのであった。

私はそれ以来、次第にこう考えるようになっていった。イエス・キリストのことをできるかぎり深く学べる場所に行きたい。そこに人生の全ての鍵がある。それ以外に私の生きる道はどこにもない。そのように思いつめて辿り着いた結論が、ドイツに渡って、キリスト教神学を学ぶということだった。

だがそこまで明確に決心が定まるまでに、さらに8年間の紆余曲折を経なければならなかった。

 

 

(つづく)