神学漂流 魂のドイツ修行

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酸欠の牢獄

そもそも私がドイツという国を最初に意識したのはいつだったろうか。それは恐らく中学1年生の時(1981年)、ドイツ映画『Uボート』を観た時ではなかったかと思う。ナチスの潜水艦Uボートの船員たちの生活を描いた戦争映画の傑作である。

狭く細長い潜水艦の中で、野獣のように屈強なドイツ人兵士たちがひしめき合うように生きている。彼らのミッションはただ一つ、敵国の船を魚雷で撃沈させることである。それと同時に敵の攻撃から逃げなければならない。ある兵士は戦闘状態の緊張と恐怖に耐えきれず気が狂ってしまう。またある兵士は神に救いを求めて必死に祈る。だが他の兵士から「祈るひまがあるなら働け!」とばかりに殴り倒される。そんな極限状況がこれでもかこれでもかと続く。

やがてUボートは敵のミサイル攻撃を受けて大破し、深い海の底へと沈んでしまう。海水があちこちから流れ込み、酸素がしだいに欠乏していく。兵士たちは酸欠状態に苦しみながらUボートを懸命に修復する。間一髪のところで修理は成功し、Uボートは深海から浮上する。海面に浮かび上がった時、兵士たちは新鮮な空気を無我夢中で吸いこむ。よみがえったUボートは海面を爆走して、敵の圏内から脱出することに成功する。

 


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この起死回生のシーンを観た時、中学生の私はこれ以上ないほどの解放感に打ちふるえた。ドイツの作曲家クラウス・ドルディンガーによるサウンドトラックも、この場面を劇的に盛り立てている。ドイツ人とは何と力強く生命力にあふれた人々であろうか。その映像と音楽の衝撃は、私の体に一生忘れないほど深く刻み込まれた。

私は子供のころから『Uボート』のように閉ざされた状態から脱出する物語に強く魅かれる傾向があった。それはいったいなぜだろう。今考えてみると、私自身がいわば一種の閉じこめられた状態で生きていたからではないかと思う。あえぐように空気を吸い込むUボートの乗員たちを見て、私はあたかも自分自身が解放されるような擬似体験、カタルシスを味わっていたのではないだろうか。

物心ついた時から私は不自由だった。友達と遊ぶ時間やテレビを観る時間を厳しく制限され、大半の時間は机に向かって勉強するようにしつけられた。いったいなぜ不登校などの反抗を起こさずに耐え続けられたのか。自分の生い立ちを遡っていくと、教育熱心な母親から見捨てられるのではないかという恐怖を感じたことに行き着く。その恐怖を味わうまいと決心して、私は幼少期から極度に勤勉となった。幼稚園のころから塾に通い、良い小学校、良い中学高校、良い大学を目指し続けた。

そのような受験勉強に耐えられずに落ちこぼれていく友人がいれば、自分よりも先に力尽きて崖から落ちていっているのだと感じた。そういう友人たちを思いやることも助けることもせず、私はひたすら断崖絶壁を登り続けた。「勉強を止めたら死んでしまう」という恐怖に駆りたてられた人生だった。

ずっと後にドイツ留学してから、私はドイツ人が勉強を助けてくれることに驚いた。ドイツ語が意のままにならず、ぼろぼろになるまで苦しんで、力尽きて倒れて、ドイツの友人たちに助け起こされてはじめて、人を思いやることの大切さを知ったのである。ドイツでの経験はおいおい語っていきたいと思う。

私は幼少のころから人生をどこか冷ややかに傍観していた。いったいなぜ朝から晩まで勉強にいそしみ、よい成績を上げ、よい学校に進み、よい企業に就職しなければならないのか? そんな人生には実は意味も目的もないのではないか? また、そんな人生を強いる現代社会はいわば行く先もわからない暴走列車のようなものではないか?  そのような疑問、怒り、そして無力感をひたすらため込み続けながら生きていた。

そんな私が高校時代に描いた1枚の絵が残っている。「文明人の孤独」と題した、囚人が夜中に牢獄から脱走する絵である。囚人は窓を破って外へ逃げ出すのだが、逃げ道が地平線の彼方まで続いている。いったいどこまで逃げていったらいいのかわからない。その囚人とは―描いている時にはまったく自覚していなかったのだが―牢獄に適応しすぎてしまったために、その外側で生きることを想像することもできなくなった自分自身だった。

そのせいか、私は十代の後半から何かの学者になろうと考えるようになった。現代社会の奴隷にはなりたくない。そのためには現代社会をフランクルのような精神分析や哲学思想を通して研究すれば、社会をいわば超越して自由になれるのではないか。そんな風に考えて大学は東大の文学部を目指した。

東大に入学した80年代末はバブルの最盛期だった。当時の大学生の多くは、受験戦争をくぐりぬけて大学に入学すると途端に勉強しなくなった。大学は「レジャーランド」だと揶揄されていたほどである。今日と比べれば学費は安く、親はだいたい裕福で、就職も楽で、学生は総じてめぐまれていた。

だが私はそういう大学の雰囲気を軽蔑し、講義やゼミに生真面目に出席した。さらに精神分析や哲学思想の自主勉強会まで組織して、いっそう激しく勉強するようになった。就職活動には目もくれず、大学院に進学して一直線に研究者になると決めていた。

しかし、それは自分が今まで酸欠の牢獄で生きてきたことに気がつかないまま、よりいっそう酸欠状態を深刻にすることだった。いってみれば自分で自分の首をどこまで締め続けられるかという我慢くらべのようなものだった。

そのために私はまもなく無残な挫折を経験することになる。

 

(つづく)