ある自活言語学者の愉快な日々

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食べること、飲むこと

恐怖の朝食

野草を食べてみたら意外と野菜より好きなことに気づいたりすると、食事に関しての思い込みが多いことに気づきます。何が好きか嫌いか、もしくは何が自分にとって良い食事で何が悪い食事なのか、自分で考えているようで、実は他人から与えられた情報だけで判断していることも、意外と多いかもしれません。

ぼくが小学校の頃は「1日3食、特に朝食はしっかり食べましょう」とよく先生に言われました。「朝食を食べないと頭に栄養がまわらないから、授業に集中できなくて、成積が落ちる」と、もっともらしい理由を当時好きだった先生が爽やかに語られていたので、ぼくはすっかり信じこんでいました。小学生の頃からぼくは朝起きるのが苦手で、朝ごはんも食べる気になれませんでした。母親からは「味噌汁だけでも飲ん行きんさい(方言です)」と言われ、先生の言葉の助けもあって、しぶしぶ味噌汁だけすするものの、急いで飲むもんだから上顎を火傷して、火傷を舐めながら登校したものでした。

ぜひ覚えておいていただきたいのは、朝苦手な人間にとって、寝起きに何かを食べるというのは、とっても重労働な場合があるんです。それだけで、クタクタになってしまうんです。

いまだから言えますが、結婚していたとき、奥さんの実家での朝食はとっても大変でした。奥さんの実家に住まわせてもらっていた時期があるのですが、朝食がみなさん7時前くらいから始まるんです。ぼくからしたらベラボーに朝早い。しかもお母さんが朝早く起きられて、ご飯、味噌汁、目玉焼き、納豆、焼き魚など、「IT’S THE JAPANESE BREAKFAST!」と叫びたくなる豪華な朝食なのです。それも毎朝。とても素晴らしいことです。ただ、朝に弱く、食も細いぼくには、そのスペシャルな朝食が満漢全席のように映るのです。「あの〜、朝はあんまり食べられないので、ご飯は少なめでお願いしたいです」と言っても、「よその実家だからって、遠慮しなくていいからね!」と明るく大盛りにしてくださいました。遠慮しているわけではないのですけど、これを断るのは難しく、ご飯をたくさんいただいては、午前中は満腹であんまり研究できない、みたいなこともありました。

いやいやもちろん、お母さんに悪気がないのは重々承知しています。そこでキッパリと「小盛りにしてください」と言えなかったぼくの課題でもあります。それを踏まえた上で、世のお母様方には、食の細い男子もいることを少し知っておいていただけると幸甚だな、と思って書いてみた次第です。

そんな感じで小学校の頃は頑張って朝食を食べていたぼくですが、中学校に上がってからの現代社会の授業で「朝食を食べる習慣はエジソンがトースターを売りたかったからだ」という説があるのを聞きます。どういうことだよ! 小学校の教えはなんだったんだ! と腹が立った記憶があります。朝食を食べた子と食べなかった子の成績を比較するグラフすらあった気がするのに、結局はトースターのプロモーションの延長だったのかい! と、大人のやり方に不満を持った覚えがあります。

これは余談ですが、こうやって何かぼくの今の関心を掘り下げていくと、意外と小学校や中学校の頃に感じた大人への違和感や理不尽さに端を発していることが多々あります。自分の執念深さに呆れると同時に、子どもだから分からないとテキトーな説明で誤魔化すのはしたくないなぁ、と思います。

サンタさんとかもそうですね。親と一緒に妹を騙しましたが、なんだか後味が悪かった思い出があります。ぼく自身も、小3のときにサンタさんがいるかいないかの論争を確かめるために、当時読んでいた漫画の『YAIBA!』に出てくる「龍神の玉」をクリスマスプレゼントにお願いして、それを親には決して言いませんでした。サンタさんなら、親に言わなくてもわかってくれるはずだし、「龍神の玉」という現実離れしたものも用意できる、用意できなくてもそれに相当するものを送ってくれると思ったからです。さて、その結果は「カシオの腕時計」でした。しかも、その腕時計は両親が出席した結婚式の「選べるギフト」にあったもの。それに気づいて、「ああ、やっぱりサンタさんは嘘だったんだ」と傷ついたものの、それを表に出さないのが大人なのだ、と強がって腕時計を喜んだ思い出があります。

素敵な思い出のある方も多いサンタさんかもしれませんが、大人に対する子どもの信頼を損ない続けるシステムになっている点も無視できないと個人的には思います。

食事法の模索

電車に乗っていると、「科学的に正しい食事法」についての広告がよく目に留まります。それだけ関心の高いトピックなのでしょう。ただ、「朝食はしっかり食べよう!」に苦い思い出のあるぼくは、安易には信用しません。まず自分でやってみて判断するようになりました。

大学院生時代、勉強する時間も研究する時間も全然足りなかったぼくは、短時間睡眠を実践するためにいろいろな食事法を試しました。ご飯を食べると眠くなりますから、食事の回数を減らしたり、断食時間を設けて午前中は何も食べないとか、眠くなるのは糖質が原因だと言われていたので、糖質制限をしたりもしました。「科学的に正しい食事法」が存在すると信じて、本を読んで実践する、を繰り返していました。

糖質制限は2年くらいして、確かに眠気は抑えられますが、汚い話ですけど、おならがめちゃくちゃ臭くなるとか、便が硬いなどの問題もありました。それらの問題をミヤリ酸の錠剤を飲むことで解決する(便がぬるっとしたものでコーティングされて出やすくなる)なども試していました。

ラーメンが食べたい時もあったのですが、「糖質を抑えるために」とその頃は避けていました。その我慢がいまの自分のパフォーマンスを支えていると信じていたようです。

けれど、そんな努力や工夫もムラブリを見ているとバカらしくなってしまいます。「食べたい時に、あるものを、食べたいだけ食べる」。彼らの食事にある思いはそれだけです。それでも、ムラブリに肥満の人はいないし、みな健康的な生活を送っていて、とても立派な身体をしている。その姿を見ると、ぼくがこだわっていた糖質制限などの「科学的に正しい食事法」はチープで窮屈なものに思えてきます。

カロリーもそうです。食べ物のカロリーの算出方法ってご存知ですか? その食べ物を燃やして、どれだけ水の温度が上がるかを調べるらしいですよ。つまり、燃料としてどれだけ優秀かを示しているのがカロリーなんです。あれあれ、食べることと燃えることって一緒なんでしたっけ? 違いますよね。お腹の中で火がボーボー燃えて、食べ物を消化しているわけではない。そりゃ燃料としてみる指標なら、油や脂肪が高いに決まってます。

あるボディビルダーの方は、カロリーの算出根拠が全く的外れなのを知って、カロリー計算をまったくしなくなったそうです。それでもボディビルダーとしてやっていけているというお話を人づてに伺いました。ほとんど卵しか食べてないそうです。ほんと、カロリーなんて誰が言い出しだんでしょうかね。


ムラブリの主食は芋。焚き火で焼いて食べる。(©︎幻視社)

 


最近ではお米もよく食べるようになった。ラオスではもち米が多く、蒸して手で食べる。(©︎幻視社)

 

近頃は筋トレが市民権を得て久しく、筋トレのための高タンパク低脂質の食事などが健康食的に語られていて、そういったメニューもよく見かけるようになってきました。筋肉はタンパク質でできている、だからタンパク質を摂取することが必要だ。シンプルで強い論理に思えます。

ムラブリの男性もボディビルダーほどではないですが、筋肉隆々でたくましいです。どんなに小柄な女性も、重い薪を運ぶだけの体力を必ず持っています。そんな彼ら彼女らの食事はタンパク質が豊富なのかというと、ほとんどタンパク質はとっていません。基本的に芋やご飯など、炭水化物がほとんどです。筋トレのトレーナーからすると不思議に見えるかもしれません。

この不思議な現象を考えるヒントがパプアニューギニア高地に住む人々にあります。彼ら彼女らは、ムラブリと同じく、低タンパクの食事であるにもかかわらず、筋肉隆々です。その理由が不明でした。様々な研究が行われた結果、パプアニューギニア高地の人の腸内細菌は、窒素固定する機能があり、この機能がタンパク質を補っているのではないかと考えられているそうです。

なんでこんなに食事の話をしているかというと、自活する上で何をどれだけ食べればいいかを考える必要があるからです。ぼくはまだ、ぼくが健康的に生きていくのに、何をいつどれだけ食べていけばいいのか、判断できません。判断できるようになるための思索をここでさせてもらっているんです。

以前は誰にでも当てはまる正解があるはずだと思って本や論文を読んでいましたが、今はそうは思いません。同じ食事をしても、ムラブリとパプアニューギニア高地の人とぼくとでは違う結果になることは明白だからです。その意味で、正しい食事法などないことがわかる。その都度その都度、ぼくがぼくに必要な食事を判断できるようになることが必要だと考えます。

筋肉=タンパク質とか、骨=カルシウムみたいに、単純化しすぎるのは有効性に欠けてしまいますが、身体の構成要素から食事内容を決めるのは合理的な判断に思えます。

水を飲むタイミング

例えば、「人の身体の6割は水でできている」と言いますが、食事法について考えるとき、これまでのぼくは主に固形物のことばかり考えていて、水についてはほとんど考えていなかったことに気づかされます。朝起きたら白湯を飲む程度のことくらいはしますが、ぼくは飲んでいる水がどんなものであるのか、基本的には無頓着です。水の種別といえば軟水と硬水などのミネラル分についてしか知りません。

アクアフォトミクスという新しい学問分野があり、水と光の関係を使って、水の構造と機能が関係することがわかっています。そのレベルで水の質を判断し、自分に必要な水を判断できる日が来るかもしれません。

水の飲み方については、野口整体を興した野口晴哉が「まず口に少し含んで、水が飲みたくなってきたら、口に含んでいるものを吐き出して、新たに少しずつ飲む」のようなことを言っていました(うろ覚えです!)。要は「飲みたい!」と思っているときに飲む必要があって、それを確認するために、口にまず含んでみる、というクッションを置いているのだろうと手前勝手に解釈しています。

水を飲むタイミングを注意してぼくはまだそんなに長くないですが、それでもタイミングによって「おいしい」と感じられるときがあり、また「今は勢いで飲み過ぎたな」という違いがあることがわかってきました。「おいしい」と感じながら飲めたときは、あきらかに体調がいいし気分まで晴れてくる一方で、「飲み過ぎた」感じのある時は胃が重かったり疲れやすかったりします。

また、飲み方も啜るときと、あおるように飲む時では、腹持ちならぬ「水持ち」が異なるような印象があります。啜るときの方が、同量飲んでも喉が渇きにくい。でも、がぶがぶ飲みたい時もあって、そのときに啜るように飲むと、満足できません。何がいい、何が悪いではなく、タイミングと欲求の合致が大事なのでしょう。

まだまだ判断できることは少ないですが、水を飲む量やタイミングが事前に判断できるようになる日も来るかもしれません。水を適切に飲むこと。もしかしたらそれが食事法の第一歩なのかもしれません。

ヒトの9割はヒトじゃない?

「人の6割は水」ですが、もっと高い割合を占めるものがあります。それは微生物です。人間の9割以上は微生物だと言われています。ヒトの細胞は60兆と言われていますが、皮膚や腸などに共生する微生物の数は10倍以上と言われています。つまり、「ヒトの9割はヒト細胞ではなくて微生物」なんです。

パプアニューギニア高地人の腸内細菌の例からもわかるように、共生する細菌によってその人の食事は全く異なるものになります。最近では、腸内細菌がその人の性格にも関わるとして、腸内細菌移植なども行われているほどです。

食事を考える時、構成要素を考慮する観点から言えば、まず考えるべきは微生物だ、というのは盲点でした。自分の身体のヒト細胞と共生する微生物まで考慮して食事なり、水を飲むなりすること。いや、でも微生物を考慮した食事って具体的に何? となるのですが、そのあたりは実は考えていることがあります。それは発酵です。

自活を達成するためには、発酵をよく知る必要がある。それについて次回以降で考えてみようと思います。

(つづく)